意識が現実へと引き戻されてゆく。
無意識に伸ばした手は空を切るはずだったのだが、どういうわけか眠りを妨げた原因に触れた。
覚醒した脳内に飛び込んできたのは、上から覗き込んでいる彼女の柔らかな微笑みと、どこかで聞いた、あの声だった。
「おはようございます」
雲雀の頭を撫でていた手が離れ、彼女は改めて正座をする。
「今日から雲雀様のお世話をさせていただます、です」
───アンドロイドは涙を流すか
突然、現れた彼女は主人に仕えるアンドロイドだと言う。
だが、そこにいるのは、どう見ても自分がよく知る人物だった。
「どういうことだい?」
立ったまま険しい表情で睨みをきかせる雲雀に、彼女は困ったように微笑みながら、ことんとテーブルに朝食を並べていった。
「雲雀様、冷めてしまいますよ」
「そう呼ぶの、やめてくれるかな」
「では、設定を変更されますか?」
不思議そうに首を傾げた後、「雲雀さん」と彼女が呟く。
ぴくりと反応したものの、何も言わない雲雀を肯定と見なしたのか、彼女は向かいに座った。
雲雀も手前に座ると、訝しそうに目の前にある1人分の食事を見た。
「君は食べないのか」
「私は機械ですから、飲食はできません」
じーっと雲雀が食べるのを待っているので、その視線から逃れるように目を伏せた。
そうだ、彼女の言う通り、冷めない内に食べてしまおう。
そう自分に言い聞かせ、一切の思考を止めた。箸を取り、だし巻き玉子を口に運ぶ。
雲雀の目が僅かに開かれたのを見て、彼女は嬉しそうに笑った。
「今日の天気は曇のち雨。夜は雨が降るので、傘を持って出掛けた方がいいですよ」
「後頭部に寝癖がついていますので、後で直してあげますね」
「雲雀さんは星座占い信じますか?今日の運勢はですね…」
雲雀は黙々と食べながらも、懐かしい彼女の声に耳を傾けていた。
それにしてもよく喋るものだ。内容によってコロコロ表情が変わる彼女を見ながら、適度に相槌を打つ。
飲食はできないはずなのに、なぜ塩加減がいいのかは聞かないでおいた。
それを言ってしまえば、何かが壊れてしまいそうだったから。
支度を済ませ、スリープモードの目を閉じた状態で座る彼女に近付く。
彼女は何なんだ。機械だなんて信じられないほど人間味のある表情をするし、容姿も動作も人そのものだ。
小さな呼吸を繰り返す彼女の、柔らかな頬にそっと触れる。
同じだ。手触りも、彼女が作る料理も、あの子と同じ。
かつて愛していた人がまた目の前に現れたら、僕はどうしたらいい。
「沢田綱吉、あれは何の真似だい?」
来てそうそう眉間に皺を寄せて詰め寄る雲雀に、沢田は目を丸くする。
「何のことです?」
「とぼけるな。どうしてあんなものを作った」
よりによって、なぜの姿をしているんだ。
話が飲み込めないのか、数秒の間を置いて沢田が怪訝な顔で言う。
「何をそんなに怒ってるんですか?」
慰めのつもりか。この僕に同情でもしてるのか。
何も言わずただ歯軋りする雲雀を、沢田が呆れた表情で見上げる。
メカニック率いるボンゴレぐるみの仕業かと思ったが、どうやら誰も関与してないようだ。
ならば、この状況に甘んじて、またと過ごせることを喜んでしまえば…
「もういいよ」
そんな甘い誘いを断ち切るように、沢田の部屋を出る。
時間が解決してくれるだなんて嘘。忘れられるわけがなかった。
彼女がなぜ現れたのかは知らないが、僕は事実を受け入れなければならない。
はもういないのだ、と。
「おかえりなさいませ雲雀さん。データに基づき、今夜はハンバーグにしてみました」
雲雀を見るなり嬉しそうに顔を輝かせ、キッチンへ向かおうとしたところを後ろから抱き締めた。
数秒の間があってから、静かな声で彼女が呟く。
「どうしたんですか、雲雀さん」
抵抗もせず、ただ雲雀に身を委ね、幸せを噛みしめるように微笑むのだ。
後ろから抱き締められると、緊張しなくて済むから好きなんだと言っていた。
変わってないね、あの頃と何も。
「なんでもない。夕飯食べようか」
廻していた腕を離し、席に着く。
何事もなかったかのように、は湯呑みを持ってきて向かいに座った。
「美味しいね」
1度食べ始めたら、手は止まらない。
そう、この味だよ。ずっとこれを待ってた。
「草壁さんから聞きましたよ。雲雀さん、ろくに食べてないって」
「それは君のせいだろ」
「…私、ですか?」
の顔が陰り、視線を逸らす。少し考え「言葉の意味がよくわかりません」と返した。
「生身の人間のふりをして、楽しいかい」
「…それは難しい質問ですね」
まあ、そういう設定のアンドロイドだからね。
不穏な空気を感じたのか、話の流れを変えるべく、はあっと声を上げた。
「雲雀さん、人参もちゃんと食べてください」
「嫌だね。君が食べればいいだろ」
「もう、なんでそうなるんですか」
くすくす可笑しそうに笑う。そんな彼女を見て、雲雀もつられて笑みを溢した。
「君とこうして暮らせるなら、何も知らないままでいいかと思った。でも、知りたい。君がなんなのか」
どんなに精巧な作り物だとしても、彼女の癖や感触は真似できない。
だとしたら、目の前の君は何なのか。
まっすぐ見つめるとから笑顔が消え、俯いてしまった。
彼女が答えるまで雲雀も口を閉ざし、沈黙が続く。
「…そう」
答えない、のか。立ち上がった雲雀を目で追う。
彼女の所まで来ると、雲雀は膝をついての肩を掴み、そのまま畳に押し倒した。
「なっ!?だめですよ、雲雀さん!」
「止めないって言ったら?」
「…爆発します」
余裕の笑みを浮かべる雲雀に、がきっと睨む。
乾いた声で苦笑すると雲雀はのそりと起き上がり、無言で襖を開けて庭先に出た。
雨が降る中、構うことなく素足で歩き出す。
さっきから一体何なんだ。雲雀の不可解な行動に、は眉を寄せて成り行きを見つめていた。
「…っ!」
冷たい雨を静かに浴びていた雲雀は、おもむろにスーツの内ポケットに手を入れ、普段は決して使うことのないピストルを取り出した。
遠くで息を呑む音がしたが、耳には雨の音しか入ってこないから、たぶん気のせいだろう。
腕を持ち上げ、こめかみにピストルを宛がう。
身を呈して主人を守ると組み込まれたアンドロイドなら。
否、今でも雲雀を想う彼女なら…
「ばか!何やってるんですか!」
声を荒げ、血相を変えて駆けてきたが雲雀の背中に抱きつく。やっと君になったね。
雲雀はピストルをしまうと体の向きを変え、正面から強くを抱き締めた。
「従順なアンドロイドはどうしたの?」
「そんなの知りません」
「雨の中、突っ込んでくるなんて自殺行為だよ」
「いいじゃないですか、もう」
も雲雀の背にぎゅうと腕を廻し、消え入るような声で呟いた。
「いつから気付いてたんですか」
「最初から腑に落ちなかった」
「僅かでも、私をアンドロイドだと思ってくれたから、見ることも触ることもできました。でも、もう…」
認識してしまったからには、このままではいられない。
触れ合っている部分はこんなにも温かいのに、それすら無くなってしまうんだね。
ゆっくりと顔を上げたは、悲痛な表情のまま笑う。
「恭弥さん、恭弥さん」
「何」
「もっと一緒にいたかった、まだあなたの側にいたかった」
「うん」
彼女の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちてゆく。
涙はやがて雨と混ざり、泣いてるのかすらもわからなくなってしまう。
「今度はいつ会えるの?」
「さあ、どうでしょう」
残された時間は僅かしかないのだと、お互いどこかでわかっているのだろう。
求め合うように頬を寄せ、相手を請う。
「恭弥さん、ちゃんとご飯食べてくださいね。無茶しないでくださいね」
「君こそ、今度は“人”として来なよ」
「…?」
言葉の意味をすぐには理解できず、が首を傾げる。
しばらく見つめ合った後、どちらからともなく顔を近づけた。
どうかまだ行かないで。もう少しだけ、待って。
唇が触れ合い、いつものように瞳を閉じる。だが、閉じた後で後悔した。
柔らかな感触が消える瞬間を、酷く鮮明に感じたから。
声にもならない嗚咽と、強く閉じた瞳から熱いものが込み上げてくる。
存在を忘れていた雨が、現実を打ち付けてくる。
僕は1人で生きていかなければならない。