相変わらず、この屋敷は広くて暗くて陰湿だ。
人の気配が一切ない、薄暗い廊下の先を眺めながら心を落ち着かせる。
意を決してノックし、ゆっくりと扉を開けた。
雲雀さんは顔を上げると読んでいた本を閉じ、ベッド脇にある小さいテーブルに置いた。
私が遠慮がちに側に寄ると、彼は手を差し伸べて言う。
「おいで」
優しい声に導かれるように、素直に手を重ねると、雲雀さんの待つベッドへと引き寄せられる。
これから行われる行為を知っていても、抗うという選択肢など最初から無いも同然だった。
やんわりと抱き込まれ、着流しの胸元に頭を預ける。体温を感じて、鼓動が早くなる。
「ねえ…いいかな」
耳元に唇を寄せ、甘ったるい声で囁かれる。
YESと言わざるを得ないのは、惚れた弱みというやつだ。こっちも、わかってて来たのだから。
「はい」
髪を掻き寄せ、首元を晒す。雲雀さんは眩しそうに目を細めると、そこに顔を埋め、手始めにキスを落としていく。
くすぐったい感触に、なんだか変な気分になってくる。
ちゅ、とリップ音が響くと、今度は生温かい舌が這う。
「…んっ」
思わず吐息が漏れてしまい、雲雀さんに小さく笑われる。
それが悔しくて、声が漏れないように身体を強張らせた。彼の肩を掴む手に、力が入る。
それを見かねた雲雀さんが顔を離し、呆れたように微笑んでいた。
「力抜いて」
頭の後ろに手を添えられ、そっと唇が重なる。
角度を変えてふわふわと喰みながら、私が脱力するのを待ち、肩を押してクッションへ寄りかからせた。
名を呼ばれ、その時が来るのを目を閉じて待つ。
ぴりっとした痛みが走ったのもほんの一瞬で、次第にふわっと浮くような、くらりとするような、不思議な感覚になる。
「…っ」
ゆっくり瞳を開けて、私の首筋に噛み付いている彼をぼんやりと眺める。
一心不乱に血を吸っている様が可愛くて、丸い頭を優しく撫でてあげる。
事を成す時は同意を得てから、という約束を彼は律儀に守っていた。
そのため、雲雀さんの部屋にお呼ばれして私が赴く、という図式ができあがった。つまり行為に同意したということである。
「ん、美味しかったよ」
満足そうに口を離し、甘えるように胸元に突っ伏してしまった。
全体重がかかって重かったけど、それすらも愛おしく思う。
彼がこうして容姿を変え、身なりを変えたのも、ヒトへの歩み寄りなのだろう。
そして、恐らくその根底にあるのは、私……。
さらさらと短い黒髪を梳きながら、そんなことを考えて頬が緩む。
「体調はどう」
「えっ、もう随分と前に良くなってますけど」
「なんともない?」
「はい」
雲雀さんはどこかを横目でつーんと見ながら、ふぅんと返事をする。
「…まあいいか」
「? 何がですか」
私の手を掴み、指を絡ませる。どこか強張った感触に少し驚いた。
「どこにも行かない?」
くぐもった声が小さく響いた。彼は私が出て行ってしまうのを恐れている。
傍若無人な彼が見せた弱みが意外だった。
「どこにも行きませんよ」
記憶をなくしたのは不慮の事故だけど、あなたとちゃんと向き合えて良かったと思ってる。
「そう」
ゆらりと起き上がり、私の腹部に手を置く。
「ひと月か」とぽつりと呟き、何のことやらと首を傾げる。
「ねえ、このまましようか」
「えっ!?待っ、」
ベッドが音を立てて軋み、妖しい笑みを浮かべた雲雀さんが顔を近付けてくる。
血を吸うだけだと思ってたから、こ、心の準備が…!
「これからご飯の時間ですよ!」
肩を押し返しながら抵抗を見せる。「ああ、外にやっておいたから平気だよ」と返ってきた。
「外にやった、とは?」
「見られながらしたかった?」
「んんん?? 話が噛み合ってませんよ」
威勢が削がれたのか、雲雀さんは気怠そうに私の上から退いて、隣に寝っ転がった。
「ああ、言ってなかったっけ」
「部屋の外に使用人を置いてる。食事の時間になると入ってくるからね。ヒトには見えないんだっけ」
「ええっ!?」
食事が突然現れる理由はこれだったのか!
というか部屋の中に使用人が出入りしてたの!?
あの時もあの時も…!?なんか色々不安になってきた。
「黒子と言って、文字通りヒトには見えない。触れた物も透明になる。彼らに性別なんてないから安心しなよ」
「へえ…」
雲雀さんと一緒に寝っ転がりながら、ぼんやり考え事をした。
外に使用人がいるなら逃げるなんて無理だし、結局のところ、私を逃がす気なんかないじゃない。
別に逃げる気もないけどね。