ガラガラと重いキャリーケースを引きながら、人混みの中をおろおろと見回す。 周りでは聞き慣れない言語が飛び交うばかりで、異国の地に来たんだなと実感すると共に、一人ぼっちになってしまったかのようで心細い。 空港の到着口を出てすぐに目に入ったのは、浮かれた観光客の色鮮やかな服装とは真逆の、黒一色の男。 喧騒を嫌がるかのように、隅の方で不機嫌な顔で壁に寄りかかってる彼を見つけて、酷く安堵した。 母国から遠く離れたイタリアで、同じ日本人……それも大好きな人を見た途端、心細さが和らいで泣きそうになってしまった。 「恭弥さん!」 大きく手を振りながら近付く私に気付き、彼が顔を上げる。珍しく私服を着ていた。 やっと来たか、という顔で私のキャリーケースを持つとスタスタと歩き出してしまった。 感動の再会も何もない。この人混みだ、長居したくないのだろう。 「ほら、行くよ」 「はいっ」 恭弥さんが滞在しているホテルに着くなり、キャリーケースを私に渡すと、身に着けている衣服をその場で脱ぎ出してしまった。 いやいや、唐突すぎてびっくりする。いつもの着流しに着替えてくつろぎたいんだろうけどさ……。 なんだか見てはいけない場面に遭遇してしまった気分になり、私はそそくさと部屋の隅に移動して、キャリーケースの中身を整理することにした。 着流しを着つける音が嫌でも耳に入ってくるために、恭弥さんの今の状態を安易に想像できてしまう。うう、荷物の整理に集中できない。 「ねえ」 名前を呼ばれて顔を上げる。ベッドに腰掛けた恭弥さんがこちらを見ていた。 おいで、と隣を叩かれて、作業を中断せざるを得ない。素直に彼の元へと歩み寄った。 隣に腰を下ろせば、肩が触れ合いそうな程に近くにいる大好きな人。今日久しぶりに会えて、やっと静かな場所で二人きりになれた。 彼の手がそっと私の髪を撫でて、頬に触れる。 近い距離で目が合って、恭弥さんが穏やかに目を細めた。 唇が重なると、体の奥底から愛おしさが込み上げてきて。唇が離れた後、もう何度か触れるだけのキスを繰り返した。 「君がイタリアに行くって言い出した時は驚いたけど。来てみてどう?」 「日本と全然違いますね」 彼の肩に寄り添うように身を寄せて、彼もそれに応えるように僅かに重心を傾けて。 触れた所から大好きな人の体温を感じながら、他愛もない会話をした。 あんなことがあったとか、イタリアに来てびっくりしたこととか。 恭弥さんがたまに相槌を打ちながら、穏やかな時間が流れてゆく。 「しばらくは、お仕事お休みなんですよね?」 「そうだね」 「じゃ、じゃあ! ちょっと観光でも……」 そう言いかけた途端、露骨に嫌な顔をされた。うーん、やっぱりダメかぁ。 私としては、新婚旅行も兼ねてイタリアに来てみたんだけど…。 「恭弥さん、お疲れですもんね! 大丈夫です! 私1人で行ってきますから!」 「…」 「イタリア語わかんないし、道に迷って帰ってこなかったとしても、心配しないでくださいね」 「洒落にならないよ、それ」 大きな溜息をつかれる。それもそのはず。マフィア関係者ともなれば、拉致なんてザラにある。なによりここは本場イタリアだ。 嫌味じゃなく気遣いで言ったのだけど、逆に気を遣わせてしまったかもしれない。 「何かあってからでは困る」 何気ない、でもとても重い一言に、うっと言葉が詰まった。 「1日だけだ」 「えっ」 「観光に付き合ってあげる」 まさかの言葉に、体を離してまじまじと恭弥さんの顔を見入ってしまった。 朝から夜までホテルでまったり3泊4日コースかと思ってたから。 「何? 行かないならいいけど」 「行きます、行きます!」 嬉しさのあまり、つーんとそっぽを向く恭弥さんに抱きついてしまった。 嬉しいな。私のために一緒に外を歩いてくれるなんて。 ぐりぐりと頭を胸板に押し付けると、満更でもなさそうにしてて可愛い。 「観光は明日ね。今日はゆっくりしたいんだ」 直前まで任務にあたってたらしいし、無理言っちゃったかなぁ…なんて思ったのも束の間、肩を掴まれて視界がぐるりと反転したのだ。 天井を背景に、妖しく笑う恭弥さんが私を見下ろしていた。 「まずは君から」 前言撤回。恭弥さん元気じゃん。 カーテンからじんわりと朝日が漏れ出す。さすが、遮光性が高いだけあって部屋はまだ薄暗い。 お高いベッドは肌触りが良い。滑らかに肌をすべる布地が気持ち良くて、無駄に体を動かしてしまう。…あ、起こしちゃったかな? 隣で瞳を閉じていた恭弥さんが、小さく身動ぎした。 静かにじっと様子を伺う。何秒かして、ゆっくりとその瞳が開かれた。 「おはようございます」 小さく「うん」と眠そうな声が返ってきた。 するりと腕が身体に巻き付いて、恭弥さんの胸の中に抱き寄せられる。 昨日はあのまま寝てしまったから、お互いの肌が全身密着するわけで……。 恥ずかしさに耐えきれなくなり、再び寝てしまいそうになる温かい腕の中から、抜け出そうと試みた。 「恭弥さん! 今日はおでかけの日ですよ。起きてください!」 「…ん」 腰にあった腕をほどいて体を離す。ぼんやりと薄目でこちらを眺める、寝起きの悪い旦那さんに、ちゅ、とキスを贈ってみた。 隙あり。無防備な寝起きでもなければ、自分からキスなんてできないよ。 「準備してくるので、ちゃんと起きてくださいね」 床に落ちてるバスローブを羽織ってベットから出て、ダメ押しにカーテンを開けてやった。 遠くで呻き声が聞こえた気がするけど、気にしない気にしない。 「おとぎ話みたい! 可愛い〜!」 興奮気味にきょろきょろと見回す私に対して、恭弥さんは見慣れた景色なのか黙々と歩いている。 朝に行けば人が少ないんじゃないかと提案したのに、昨晩は長々と事に及んだため、もうすぐ昼になってしまう。自業自得ってやつだ。 イタリアの街並みを堪能していると、遠くで出店が立ち並び、人で賑わっているのが見えた。 「……」 自然と互いの目が合う。行ってみたい!という好奇の目と、最悪だ…と訴えかける目。 私はにこりと笑って、ずんずんと歩みを続けた。 観光に付き合うと約束した以上、恭弥さんは後には引けないのである。 「え〜すごーい!」 見たことない異国の食材に、可愛らしい雑貨に、不思議な骨董品。 情緒溢れる海外の市場にテンションが上がって、吸い寄せられるようにあちこちの屋台に顔を出してしまう。 「恭弥さん! これ見てくださいよ……あれ?」 後ろを振り返るも目当ての人影はなく。少し離れたところで、むっとした顔で人混みを掻き分ける恭弥さんが見えた。 はしゃぎ過ぎちゃったなぁ…。嫌味を言われるに違いない。 しゅん…としていると、突如聞き慣れた日本語が聞こえてきて、ぴくりと体が反応した。 「こんにちは、日本人のお嬢さん。良い1日を過ごしてね」 ハットを被った男性が、オルゴールのような小箱をくれた。 「ありがとうございます…!」とお礼を言うと、男性は人混みの中に消えてしまった。 周りを見ても、何か配ってる訳でもないし…なんだろう、そんなに日本人が珍しかったのかな。 「勝手に離れないでくれる?」 追いついた恭弥さんが苦言を漏らす。予想通りの言葉に苦笑いした。 「何それ」 「貰ったんですけど、何でしょうね?」 可愛らしいラッピングは、女性が喜びそうなもので。軽くもなく重くもなく、でもそれなりの物が入っているようだ。 「…貰った? 誰に」 「知らない男性に」 リボンを解いて箱を開けようとした時、横から伸びてきた手に小箱をひったくられた。 「なっ、何するんですか」 「男って何? 誰?」 「通りすがり?の人ですよ! 知らないけど!」 確かにタダで貰った物、しかも可愛らしい包装となれば訝しむのも当然だろう。 とりあえず中身を見るだけ…! なんとか小箱を取り返し、いざ箱に手をかける。 「なっ……!?」 埋め込まれた小さな液晶画面が、素早く秒を刻んでいたのだ。 これは…ドラマでよく見る……時限爆弾?! 恭弥さんが、咄嗟に小箱を奪おうと手を伸ばす。 しかし、それよりも先に減っていたカウントが00:01になった。爆発する……! カチッ ―――爆発はいくら経っても起こらず。その代わりに全ての音が消えて静かになった。 強く閉じていた目を恐る恐る開けて、周りを見てみる。 まるで一時停止のように、この場にいる全員が止まっていた。もちろん恭弥さんも。 「ちゃおっす」 上から降ってきた声に衝撃が走る。 顔を上げると、スーツを着た羽の生えた赤ん坊が、ふよふよ浮いていたのだ。 「あ、あなたは…!?」 「俺は、羽を伸ばしに海外に来た天使だ」 天使も海外旅行するんだ…。って、そんなことはどうでもよくて。これは一体どういう状況!? ありえないことが起きて、口を開けたまま凝視するしかできない私に、天使はおどけた口調で話し出す。 「誰かが出資してくれたからな。たまにはバカンスを楽しんでもいいだろ?」 「いや、そうじゃなくて」 「ああ、これか」 今までの雑踏が嘘のように消えて、映像が一時停止したかのように固まっている人々を見回すと、天使は最後に私を見て一言。 「死んだんだぞ、お前」 「え」 数秒の沈黙が突き刺さる。血の気が引いて、思考が停止する。 嘘だ。だって今こうして喋ってるじゃないか。ちゃんと生きてる。 「これまた物騒なもん貰ったな」 天使が、私の手の中を覗き込む。小箱には00:01と表示する時限爆弾。 途端に小箱が重く感じて、手が震え出す。ああそっか、爆発して死ぬんだ。 「死んでも死にきれねぇよな」 「っ…」 「時を戻したいか?」 「もっ、戻せるの!?」 「俺は天使だからな」 なぜかドヤ顔で胸を張る天使。よくわからないけど、この赤ん坊は時を止めたり戻したりできるらしい。 それが本当なら、本当なら……。ふと、焦った顔で固まっている恭弥さんへと視線を移す。 ――まだ死にたくない! 決意を固め、キッと天使を見上げる。 「出資者様からのお願いだ。聞かない訳にはいかねぇよな」 「叫べ!」と大仰しく言い放ったもんだから、何事かとびくりと肩を震わす。 天使が左手を腰にあてて、右手を天高く突き上げている。何やってるのと見ていたら、顎先で「やれ」と言われた。 よくわかんないけど、同じようにやればいいのかな。 「リボーン☆チャンス!」 天使に続いて声を張り上げると、まばゆい光が大きくなってゆく。 視界が白で消える間際、赤ん坊は深くハットを被り直し、ニッと笑った。 はっと我に返る。私の手には例の小箱があり、後ろからは恭弥さんが悪態を付きながらやって来ていた。 どうする…どうする? あと数分で爆発する。こんな人が多い所ではダメだ。 恭弥さんに任せる? いや、時間が惜しい。 「恭弥さん!」 人混みを抜けて、来た道を全力で走る。いきなり走り出した私に戸惑いながらも、恭弥さんも追いかけてきた。 朝ここに来る途中、広い運河があった。あそこなら被害を最小限に抑えられるかもしれない。 ドラマにおいて、爆発物は水に投げ入れるのが鉄則だ。 間に合え! 息を切らしながら、人や船がいない方向に力いっぱい小箱を投げる。 手から離れた際の摩擦でリボンが解け、蓋が開いた。 ポン 気が抜けるような効果音の後に、何かが真っ直ぐ打ち上がって… 陽に照らされてキラキラ白く反射する花吹雪と共に、小さな気球がぷかぷか宙に浮いていた。 「へ……?」 しばらく浮いた後、ぽちゃんと水面に落ちてしまった。爆弾じゃ…ない……? へなへなとその場に座り込んで、穏やかに揺れる水面をぼけーと眺めるしかなかった。 「何してるの」 「え……えっと…」 追いついた恭弥さんが呆れたように言う。 あの小箱は爆弾じゃなかった。びっくり箱みたいなおもちゃ…? どこからか赤ん坊の笑い声が聞こえた気がして、やられた…と肩を落とす。 「あはは…熱烈な歓迎を受けちゃいました」 差し出された手を取ると、強く引っ張り上げられた。 気が抜けてしまった私は力なく立ち上がって、よろよろと片方の手でスカートを払う。 ぎゅうと大きな彼の手を握って安堵する。よかった爆弾じゃなくて。よかった何事もなくて。 「えへへ、お腹空いちゃいました。お昼ごはん食べませんか」 「ああ、そうしよう」 繋がれた手はそのままに、何を食べようかと2人で喋りながら、ゆっくりと長い小道を歩き出した。 街は何事もなかったように、賑わいの中で時が流れていた。 **** パンパン。二礼二拍手。 地元の古い寂れた神社。小さい頃はよくここで遊んでいた。 恭弥さんが長期任務の時、一人が寂しくて不安な時はお参りしたりする。 「あっ」 そういえば前に、なかなか彼が帰ってこなくて不安でしょうがなくて、1万円札を入れたんだっけ。 まじまじと本尊を眺めて、まさかね〜と小さく笑う。 死ぬはずだった運命を変えてくれたのか、はたまた揶揄われただけだったのか。 本当のところは分からないけど、きっと良い天使に違いない。 景気良く万札を賽銭に突っ込んで、深く礼をして神社を後にした。 あれ、でも神社なのに天使っておかしくない…? おわり