広い屋敷は不気味なほどに静まり返っていた。
ベッドで眠り続ける女を、雲雀は無表情で見つめる。


「頭と脚を強く打っている。命に別状はないみたいだね」


自然が作り出した小さな崖。打ち所が悪ければ…あるいはあれ以上の高低差があったら、この子は死んでいただろう。
幸い、見た限りでは軽症で済んだ。未だに意識は戻らないけれど。

だが、丁度良いと思った。
意識の混濁に乗じて、記憶を消してしまおう。


「君は僕をどう思ってるのかな」


君から過去の記憶を消したら、吸血鬼ではない僕に対して、どんな反応を見せるのだろうか。
知りたい。願わくばそれが、好意であればいいのだけれど。
額に手のひらをかざし、無言で見下ろす。


「しばらくここを離れよう」


村女が帰らないとなれば騒ぎになるだろう。邪魔が入らない遠くへ、身を隠そうか。
使用人に指示を出す。主の急な命令に、使用人達は慌ただしく散っていった。

2人きりになった部屋で、雲雀は指輪をするりと女の薬指にはめた。
もし彼女に好意がなかったとしても、既成事実を作ってしまえばいい。

偽りの ひと時だとわかってても、この子と暮らせるなら悪くないと思った。
すぐに記憶が戻っては面白くないよね。


「名前も奪ってしまおう。君は───だ」





「あの…」
「うん」
「何から話していいか……」


私の反応を伺っているのか、雲雀さんは無表情のまま固く口を閉ざしていた。
記憶が戻ってごちゃごちゃしている頭を抱えながら、言うべき言葉を手繰り寄せる。


「雲雀さん、強引過ぎですっ!」


豆鉄砲を食らったかのような顔になった。ちょっと可愛い。
そりゃ、吸血鬼だからって距離を置いてた私も悪かったけどさ…。偽造結婚なんてする?普通。

記憶をなくしていた間のこともしっかり覚えていた。
雲雀さんってあんな優しい顔で私を見てたんだ、知らなかったな。
あれこれを思い出し、あっと声を上げる。


「えっ…待って……うそ」


わわわ私、雲雀さんと…その……せ、セッ……!
急速に顔が熱くなる。どうしよう、なんてことしてくれるんだ。もう顔を直視できない。


「何?…もしかして初めてだった?」


私の動揺ぶりに、雲雀さんが意地悪く笑む。


「どうりで血が甘かったわけだ」
「うわあああ!」


美味しかったよ、と追い打ちをかける雲雀さんに、恥ずかしさのあまり手で顔を覆ってしまった。


「処女じゃなくなってしまったね。……僕のせいか。血の味に変化はあるのかな。興味あるな」


初めてだったのに!初めてだったのに…!
雲雀さんが何やらぶつぶつ呟いてるけど、それどころじゃない。私は1人じたばたと悶えていた。


「君はこれがなくても、僕を好きだと言ったね」


指の間から、ちらりと目を覗かせる。
雲雀さんは銀の指輪を見せつけるように持っていた。
自分の指から指輪がなくなっていることに気付く。


「…雲雀さん、まだそんなこと言ってるんですか」


彼の眉間に皺が寄る。私は目線を逸しながら、もごもごと小声で言葉を発した。


「誰も嫌いだなんて…言ってませんよ」


長い沈黙の後、おもむろに左手首を掴まれる。
雲雀さんは嬉しそうに薬指に指輪をはめようとしていた。


「なら問題ないね」
「ちょっ、結婚はまだ早くないですかっ!?」

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